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司馬遼太郎『竜馬がゆく』から見た、坂本龍馬に学ぶ仕事術(名言集)

2016.8.2

sakamoto_ryoma

小説、好きですか?

僕は寝る前にベッドで横になりながら、寝落ちするまで読むことが好きです。
先日、かねがね読み進めていた、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み終えました。

坂本龍馬の幼少期から、明治維新、そして暗殺されるまでの一生涯を、すさまじい量の資料・文献を基に小説に仕立て上げた作品です。

 

物語の主なテーマは『(仕事で)事を成す』ことです。
働く身としては下手な自己啓発関連のビジネス書よりも頷ける部分が多く、何よりも楽しく読めました。

なにせ日本で最初の株式会社を立ち上げた人が坂本龍馬ですから、ある意味この小説はビジネス書と言っても過言ではない気がします。

 

本作品は、以前購入したアマゾンのKindleで、全8巻の合本が半額セールだったので「いつか読もう」としたためていました。

個人的に小説は好きなので8冊くらいは別に訳もない量ですが、1作品でこれだけのボリュームのものを読破したとなると、少し感慨深いものがあります。
(総ページ数:3,476ページ!)

 

それにしても、この『竜馬がゆく』、機会があれば本当におすすめです。

小説ベースで物語が進んでいく傍ら、司馬遼太郎さんの詳細な解説が入って、「ふむふむ」と読み進めてしまいます。

まれに『尊敬する人 = 坂本龍馬』と仰る方がいますね。
僕は今まで「けっ、何をマジメぶってるんや」と思っていましたが、
ゴメンナサイ。。今となっては十分に理解ができます。

 

ちなみにWikipedia情報によると、司馬遼太郎さんはこの小説を書くにあたり、神田の古書店で、ワゴン車1台分の量/1,400万円相当の古書、古文書を買い集めたそうです。

・・・1,400まん。。

驚き以上に、「よくやるなぁ」と、ただ恐れ多いばかりです。

また、世間一般で知られる坂本龍馬のイメージは、この小説で確立されたと言っても過言ではないそうです。
やはり、それだけのバックボーンがあると説得力も変わってくるものですね。

 

それでは前置きが長くなりましたが、作品内で個人的に『なるほど』と感じた部分を、坂本龍馬の名言としてハイライトしています。

どうぞご覧ください。

 

坂本龍馬の名言集

学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。
詩もおもしろいが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。
男子たる者は、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。

事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。
人間の魅力なのだ。

自分を強くし、他人に負けない自分を作りあげてからでなければ、天下の大事は成せまい。

男子は好悪のことはいうべきでない。

人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。
たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。

義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。

恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。

この当時の武士は、いまのわれわれの市民諸氏ではない。
武士である。

武士が、「やる」というのは、命を捨てる、ということだ。
この武士どもの異常なエネルギーが、明治維新という大史劇を展開させたのである。
他国の革命とは、その点、ちがっている。

竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。

もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

信義のある紳士というものは、いかに親友に対してもさらさらした態度でおり、そのくせ実がふかい。
手をとり肩をだいてことさらに親しみもあらわさねば、弱点でひきあってのめりこむようなつきあいの仕方もしない。

もっともこれは、男同士の交友についてのことばだが、竜馬は、男女間でもできればこれでゆきたかった。(淡きこと水のごとし)
恋愛は、心ののめりこみである。
愛情の泥沼にのめりこんで精神と行動の自由をうしないたくない。
竜馬は、かれ自身が考えている生涯の主題がある。
その主題をつらぬくためには、蜜のような愛欲は、邪魔でしかない。

竜馬は政治問題がむずかしければまず経済でその利を説くつもりであった。
要するに政治的には薩長を同盟させて討幕に時勢を転換させるとともに「討幕会社」として長崎で両藩の資金資材持ちよりの会社をつくり、大いに軍資金をかせぐ一方、外国製の銃砲を両藩にもたせ、幕府を倒してしまう。
新政府ができればこれを国策会社にして、世界貿易をやる。

志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。
むしろ地球を動かしているのは思想ではなくて経済だ。

人の運命は九割は自分の不明による罪だ。

小野小町の雨乞いも歌の霊験によったものではない。
きょうは降る、という見込みをつけて小町は歌を詠んだ。
見込みをつけるということが肝要である。

生死などは取りたてて考えるほどのものではない。
何をするかということだけだと思っている。
世に生を得るは事を成すにあり。

財政の独立なくては、思想の独立もなく、行動の自由もない。

男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。
しかし同時に、おおぜいと一緒に酔態を呈しているべきだ。

弁論よりも事実を作りあげ、事実をして言わしめるというのは、竜馬が終始とりつづけてきたやり方である。

仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。
八分までが困難の道である。
あとの二分はたれでも出来る。
その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。

私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。
人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。
仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。

 

(おまけ)岩崎弥太郎 編

「会議などは、無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか。」というのが弥太郎の考えだった。
物を創りだすのは一人の頭脳さえあればいい。

衆愚が百人あつまっても、「時間がつぶれ、湯茶の浪費になり、厠に無能者の小便がたまってゆくばかりのことだ」と、弥太郎はおもっている。

小説の中ではそこまで登場する機会が少なかった、岩崎弥太郎の名言です。笑

彼は極貧の生まれながら、後半は幕府高官にまで異例中の異例の昇進を遂げ、後に三菱の創始者にもなりますが、そのあまりにも秀才過ぎるために周囲を小馬鹿にした態度が、見ていておかしかったです。

 

岩崎弥太郎は、幕府に与えられた高い地位にも一切興味が無く、ただ追い求めるは竜馬と内容は違えど、『自ら事を成す』こと。
そしてずっと着目していたことは海外貿易で、差し当たってそれに必要なものは貿易を行うためのでした。

いっぽう江戸幕府が崩壊し、明治時代に突入する訳ですが、旧幕府は莫大な借金を諸外国に対して抱えていました。

そこで旧幕府は、岩崎弥太郎に船を数隻与える代わりに、到底返しきれないほどの借金を彼になすりつけようとします。

そして、なんと弥太郎はこの交換条件を受け、さらに借金を完済しているというから驚きです。
経営者には不屈の精神が必要と感じさせられる部分ですね。

 

それにしても、幕末の動乱などと言いますが、本当に凄まじい時代に生きていたのだなと思います。
(普段の生活で帰宅途中に、刀で斬られるリスクなぞ考える人はまずいないですよね。)

日本の武士の精神力の高さが、諸外国から評価される理由にもうなずけます。

 

 

龍馬?竜馬?どっちの漢字?

さてさて余談となりますが、パソコンで『りょうま』を変換すると、『龍馬』と『竜馬』と2種類の表記を混同しがちです。

この違いについて、実名は『龍馬』が正解らしく、『竜馬』というのは司馬遼太郎さんが、あくまで小説の主人公の名前として使ったようです。

ちなみに司馬さんは、『竜馬がゆく』はどこまで史実なのですか?という質問に対して、「幕末、『さかもとりょうま』という若者がいた、ってことだけです」と答えられていたそうです。

 

 

さいごに

僕は学生の頃歴史の勉強が大嫌いでした。
年号を覚えたり、何だか暗記力だけが問われるような気がして、無意味にやらされている感MAXでした。

ただ、今になって改めてその内容に触れてみると、「あぁ、この人はこういう性格だから、こういった思考→行動になって、結果として歴史に残る事柄になったんだな」と面白く見ることができるようになりました。

単に『1868年 王政復古の大号令』と覚えるよりも、その周辺の人の流れを見ていると「ははぁ」と感じることができます。
『歴史はドラマ』と言われるゆえんかもしれませんね。

僕が高校生の頃、たくさん迷惑をかけた一番の恩師は、歴史の教科を受け持つ先生で、(確か)歴史の中でも幕末の日本が一番好きだ、と仰っていました。
今となっては最も受けたい授業ですから、苦笑いするしかありません。

 

ま、ウダウダ言うとりますが、「勉強したい!」と思う時にはその環境が無い。
人生難儀なものです。

それでは!

 

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